2005年06月05日

くちをにごす【口を濁す】

有吉佐和子「紀ノ川」(1959)第一部、
訊いた相手は瞬間迂潤な口をきいたかと後悔して、
「いやあ、なんでて、別嬪さんが嫁にきたさかいいうただけよし」
と口を濁した。


新潮文庫の百冊では、
山本周五郎『さぶ』(1963)十五の二の、
弁解するように云うだけで、どこへどんな仕事をしにゆくのかは、口をにごして語らなかったが、

の他、沢木耕太郎『一瞬の夏』に三例ほど。

新潮文庫の絶版百冊では、
福永武彦『死の島』(1971)の、
会ってどのような話が交されたのか、Kは口を濁していた。

円地文子『食卓のない家』(1979年?)「秋風行」の
「売れたってことでもないんだけど」
 と朗は口を濁して、


他に、星新一「どこかの事件」(?)。

言葉を濁す

この項は、「口を濁す」(黌門客20050604)に触発されて書いたものです。
posted by 岡島昭浩 at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ことばをにごす【言葉を濁す】

女郎も
 り太郎か
あまり
  なかく
 いるゆへ
神がつて
 ことば
   を
  にこす
山東京伝『心学早染草』寛政二年(1790)
日本名著全集p300
p301「女郎も理太郎が餘り長く居る故、神がつて言葉を濁す」
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/meityokibyosi/meityokibyosi12.pdf

現代のとは、意味がやや違うのかも知れない。「神がる」は「うるさがる」というような意味(『日本国語大辞典』の「神がる」にこの箇所を用例とする)。番頭が迎えに来たが、「帰らない」という理太郎。言葉を濁した女郎の言葉は「ほんにおとつさんおかゝさんがおあんじなんすだらふねへ わっちゃアどうもけへし申たくねへが どうしたもんだのふ」

やはり現代語と同じと見てよかろうか。
posted by 岡島昭浩 at 13:18| Comment(0) | TrackBack(1) | か行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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